『TENNIS』を目指すといったものの、そう簡単に変われるものではありません。
初めて庭球をしたのは、まだ「WOOD RACKET」の時代です。
若い世代の皆さんは「木製のラケット??」って感じでしょう。
とても重くて、面の大きさも85位と小さくて、ナイロン製ガットを60ポンドくらいで強く張り、とにかく飛ばないラケットでした。
当然打ち方も違います。
「クローズドスタンス」で「大きくテイクバック」し、「ステップイン」で「体を前方に平行移動」させ「面を垂直に保ったまま」「後ろから前にスイング」して「フラットに当てて」「体重を乗せて打つ」のが基本でした。
現代のテニスとは全く違うものです。
オープンスタンスをとったり、上半身を回転させたり、打点から面を伏せたりなんかしたら先輩に怒鳴られました。
4〜5年後にグラファイト製のラケットが出始めて、初めて打った時「フラットでネットぎりぎりのショットを打ったら、そのままエンドラインを大きく越えてアウト」して驚いたのを記憶しています。
その後は「フラットドライブ」という静かに打ちぬいて弱い順回転をかける打法に変えて、コート深くを狙って収まるように打っていました。
その頃のテニスは、お互いに相手のバック(ほとんどスライス)を攻めて「ミスを待つ」という戦法が主だったので「耐えるテニス」が多く、大学対抗戦などは1ポイントにとんでもない時間がかかることが当たり前でした。
ロブ合戦になる“苦しい”思い出も多かったです。
それでもボールをスイートスポットで捉えた時の気持ち良さや戦法を組み立ててポイントを取る面白さも知りました。
その後テニスの世界ではラケットや打法に様々な変遷がありましたが、自分自身はしばらくテニスをする機会も年に数回程度と殆ど無く、ご無沙汰状態が10数年以上続きました。
完全に「ガラパゴス化」状態になっていたと思います。
しかし7年程前に病気した時、ふと「大好きなテニスを思い切りやりたい」「どうせやるなら少しでも現代風に攻めるテニスがしたい」という気持ちがふつふつと沸き上がってきました。
それからは多くのテニス雑誌の特集記事を読み、手に入る書籍やDVDはほとんど視聴し、更には○○合宿レッスン等にもわざわざ出かけたりもしました。
でも「昔習ったこと」を捨てきれず、最新技術を取り入れようと「付け焼刃」的に修正を重ねたので、まるで「歪んだ積み木」のように美しくない姿・形で「庭球」をしていたと思います。
きちんとした理論の上に構築されたものなら、悪い時の理由もその修正の仕方も分かるのでしょうが、そうは行きません。
一時的に調子が良さそうに思えても、いったん上手く行かなくなると「どう修正していいのか分からない」状態の繰り返しでした。
ですから、基本的に染み付いた「悪癖」を治す必要性は充分認識していました。
根本的に治すこと、つまり「荒療治」をしなければならないとも思っていました。
しかし、この『庭球の呪縛』からの離脱は容易ではありませんでした。
初めて庭球をしたのは、まだ「WOOD RACKET」の時代です。
若い世代の皆さんは「木製のラケット??」って感じでしょう。
とても重くて、面の大きさも85位と小さくて、ナイロン製ガットを60ポンドくらいで強く張り、とにかく飛ばないラケットでした。
当然打ち方も違います。
「クローズドスタンス」で「大きくテイクバック」し、「ステップイン」で「体を前方に平行移動」させ「面を垂直に保ったまま」「後ろから前にスイング」して「フラットに当てて」「体重を乗せて打つ」のが基本でした。
現代のテニスとは全く違うものです。
オープンスタンスをとったり、上半身を回転させたり、打点から面を伏せたりなんかしたら先輩に怒鳴られました。
4〜5年後にグラファイト製のラケットが出始めて、初めて打った時「フラットでネットぎりぎりのショットを打ったら、そのままエンドラインを大きく越えてアウト」して驚いたのを記憶しています。
その後は「フラットドライブ」という静かに打ちぬいて弱い順回転をかける打法に変えて、コート深くを狙って収まるように打っていました。
その頃のテニスは、お互いに相手のバック(ほとんどスライス)を攻めて「ミスを待つ」という戦法が主だったので「耐えるテニス」が多く、大学対抗戦などは1ポイントにとんでもない時間がかかることが当たり前でした。
ロブ合戦になる“苦しい”思い出も多かったです。
それでもボールをスイートスポットで捉えた時の気持ち良さや戦法を組み立ててポイントを取る面白さも知りました。
その後テニスの世界ではラケットや打法に様々な変遷がありましたが、自分自身はしばらくテニスをする機会も年に数回程度と殆ど無く、ご無沙汰状態が10数年以上続きました。
完全に「ガラパゴス化」状態になっていたと思います。
しかし7年程前に病気した時、ふと「大好きなテニスを思い切りやりたい」「どうせやるなら少しでも現代風に攻めるテニスがしたい」という気持ちがふつふつと沸き上がってきました。
それからは多くのテニス雑誌の特集記事を読み、手に入る書籍やDVDはほとんど視聴し、更には○○合宿レッスン等にもわざわざ出かけたりもしました。
でも「昔習ったこと」を捨てきれず、最新技術を取り入れようと「付け焼刃」的に修正を重ねたので、まるで「歪んだ積み木」のように美しくない姿・形で「庭球」をしていたと思います。
きちんとした理論の上に構築されたものなら、悪い時の理由もその修正の仕方も分かるのでしょうが、そうは行きません。
一時的に調子が良さそうに思えても、いったん上手く行かなくなると「どう修正していいのか分からない」状態の繰り返しでした。
ですから、基本的に染み付いた「悪癖」を治す必要性は充分認識していました。
根本的に治すこと、つまり「荒療治」をしなければならないとも思っていました。
しかし、この『庭球の呪縛』からの離脱は容易ではありませんでした。
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by seaburi-hit
| 2011-12-14 20:23
| TENNIS